諭鶴羽神社ご案内

東日本大震災での東北地方を中心とする被害、熊本地震被害、その他大雨等の自然災害にみまわれました地域の一日も早い復興を祈念します。

諭鶴羽神社は、諭鶴羽山の山頂近くに鎮座する神社です。くにうみ信仰にはじまり、密教が伝わると神仏習合修験道の山として、また、熊野三山の元宮と伝わる神社でもあります。戦国時代には、度重なる焼き討ち苦難の時代を迎えますが、平和になった今、元の諭鶴羽信仰の復興を目指して境内整備を進め、神事・行事等を復活させています。今も、社叢林のアカガシの森、親子杉、ユズリハ木など豊かな自然が残されています。灘黒岩から(表参道)と諭鶴羽ダム、牛内ダム(裏参道)からの古道、信仰の道として諭鶴羽古道があります。当ホームページには、諭鶴羽神社の紹介を詳しく掲載しておりますので、どうぞご覧ください。                          機会ございましたらご参拝下さい。ご案内申し上げます。       宮司

諭鶴羽山・諭鶴羽神社データ

  諭鶴羽神社

   所在地:〒656-0551

       兵庫県南あわじ市灘黒岩472番地

    電話:090-3990-5334

    FAX:0799-56-0315

    E-mail:yuzuruha@f4.dion.ne.jp

 

    淡路島の最高峰、諭鶴羽山の山頂近くに鎮座

    山頂は、当神社の境内地。頂上社が鎮座し、お神輿が渡御する御旅所でもある。

    氏子は、山麓の南あわじ市灘地区、国衙地区、浦壁地区、賀集牛内地区 

    特殊信仰・神事

        山頂でのお宮参り:春例祭に赤ちゃんやお嫁さんが山頂にて氏子入り(初宮詣で)をする。

        毛付け参り   :水源守護の山(水神社:水源守護)として農家の方からの信仰も厚い。

        採燈大護摩供法要:修験道を今に伝える屋外で護摩壇を構える採燈大護摩供法要。

        お餅焼き行事  :お正月境内でお餅を焼いて食べると1年間無病息災。 

  諭鶴羽山 

   ・標高608.0m 淡路島最高峰

   ・一等三角点(国土地理院)

   ・関西百名山、近畿百名山

   ・兵庫ふるさとの山50山   

  指定文化財

   ・アカガシの森(アカガシ群落) 兵庫県指定天然記念物

   ・諭鶴羽古道(表参道、裏参道) 南あわじ市指定文化財(史跡)

   ・多宝塔影板碑(十二所神社内) 南あわじ市指定文化財

   ・宝剣板碑群二十八基(十二所神社内) 南あわじ市指定文化財

 

  その他文化財

   ・親子杉 兵庫の巨樹・巨木選定

   ・建武元年銘(1334)在銘長足五輪塔型町石 他六基

         (兵庫県下最古の町石:複数基現存する町石として)

   ・享保二十年銘(1735)在銘町石 全十八基(表参道)

   ・寛保四年銘(1744)在銘町石 全二十八基(裏参道)

   ・蓮華文軒丸瓦、布目の瓦群 (境内より出土:平安時代後期)

   ・薬師堂跡長享二年銘五輪塔

  

  歴史

   ・悠久の昔より 自然崇拝、山岳信仰のはじまり(神聖な山として崇められる)

   ・2150年前 開化天皇の御代に鶴の羽に乗られた二神がこの山の頂上に(中略)遊び給ふ

           (諭鶴羽山山名の由来、諭鶴羽神社の起こり)

           諭鶴羽神社の最初の社殿が建立される(奥の院篠山神社と伝える)

   ・奈良~平安  修験道が盛んとなる 二十八宇の大伽藍建立

 

   これより西暦

   ・1000年頃 枕草子第12段(清少納言)峰はゆつるはの峯 阿弥陀の峯 弥高の峯

   ・1163年 (長寛元年)長寛勘文:熊野御垂迹縁起に「熊野の神は諭鶴羽山から渡られたの記」

   ・1184年  平氏諭鶴羽山南岸の灘海岸に辿りつく 境内社厳島神社の所以

   ・1334年 (建武元年)国家安寧を祈願し、建武元年銘町石(約三十基)が建立される

   ・1456年 (康正二年)焼き討ちにあう 二十八宇の大伽藍を焼失(全山焼亡)

   ・1488年 (長享二年)薬師堂跡五輪塔 大伽藍の一つ薬師堂の存在を今に伝える

   ・1526年 (大永六年)諭鶴羽山勧進帳:神社復興のための財を集める(賀集護国寺所蔵)

                美作城主などの助力も得て、十八宇の伽藍を復興

   ・1551年 (天文二十年) 二回目の焼き討ちにあう(また全山焼亡、石川紀伊の守の乱)

   ・1552年 (天文二十一年五月二十八日)後の平和な世の中に復興の望みを託して大法要をおこなう

   ・1584年 (天正十二年)豊臣秀吉参拝 国家安泰を祈願

   ・1652~5年 (承応年間)藩主蜂須賀光隆により徳島城鬼門鎮護のため、本殿、末社二社をご造営

   ・1735年 (享保二十年)この頃、舟形地蔵型町石 表参道十八基 造立

   ・1744年 (寛保四年) この頃、舟形地蔵型町石 裏参道二十八基 造立

   ・1779年 (安永8年)安永銘石灯篭を建立

   ・1819年 (文政二年)石造り道標などを建立

   ・1820年 (文政三年)黒岩遥拝所灯篭建立

   ・1868年 (明治元年)神仏分離令廃仏毀釈 神仙寺観音堂山下の黒岩へ下りる 

   ・1872年 (明治四年)修験道廃止令 諭鶴羽山から修験道完全に消滅 

   ・1923年 (大正十二年)境内整備・拡張工事

   ・1933年 (昭和八年)本殿改築、幣殿及び社務所新築

   ・1959年 (昭和三十四年)参道工事起工着工(車道現県道535号線:十一月十日起工式) 

   ・1969年 (昭和四十四年)境内神社十二所神社新築

   ・1973年 (昭和四十八年)社務所兼休憩所「杠山荘」新築

   ・2008年 (平成二十年)境内御堂 大日堂建立 採燈大護摩供法要 修験道復興のはじめ

   ・2016年 (平成二十八年)摂社頂上社、神倉社新築